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藤本直美先生を偲ぶ

もう18年前になるでしょうか。

大学院を出た私は、燃え尽き症候群に陥り、自分の道が本当にこれでいいのか分からず、かなり腐っていました。今の私からは、その頃の私の様子を、多分、どなたも想像できないと思います。

思えば大学院2年時に担当教授と合わなくて喧嘩ばっかりしてましたから、レッスンの度に荒んで、すごくカリカリしていました。気持ちを持て余し過ぎて、行き着いたのは派手な服装、そして髪は腰までのカーリーヘア、日本人と一緒にいたくなかった私は、当時の友人の殆どが外国人、大学院の試験では「私はこれでピアノから開放される」という喜びが強く、修了してからは大好きだったピアノの蓋も開けたくない、というか、もう見たくない、という時代がありました。

今思えば、自分が下手すぎて、そのことを直視できなかったただの子供の反抗期です。

そんな時に手を差し伸べて下さったのは、武蔵野音大の郡司先生と藤本先生でした。

藤本先生から、「僕が指導している新日鐵合唱団がピアニストを募集しているから、君、弾いてみない?」とお声をかけて頂いて、それから少しずつピアノへ向かうリハビリがはじまりました。

ここから、私の下手な演奏でも喜んで歌を歌って下さる方々がいらっしゃるんだ、私、音楽を続けてもいいんだ、という思いを抱く事が出来て、それからカタツムリのような進み具合でしたが、音楽活動に戻れ、20年後の今の私があります。

留学前に藤本先生から「君がどんな風に育って帰ってくるか、楽しみに待っているよ」「本物になって帰ってきなさいよ」と言われて、送り出されました。

イタリアからもお手紙のやり取りをしていたのですが、「食べ過ぎるなよ、飲過ぎるなよ、太るぞ、ハハハ」と書かれた手紙が最後、9年前、天に召されました。

今日はその新日鐵本社合唱団の演奏会でした。

懐かしい顔ぶれが、楽しそうに、「音楽が好き」という気持ちが全面にでた演奏に、目頭が熱くなりました。藤本先生はもういらっしゃらないけれど、先生の指導は今もここで生きている、と感じました。音楽は時空を超えて、演奏者の歴史とともに生き続けるのですね。

出演者の方の中には、後期高齢者の方も多く、もうすぐ80歳というかたもいらっしゃいました。「音楽が好き」という気持ちを一生持ち続けて歌われている姿には、プロ、アマという区切りは関係ない、むしろ、私たちプロの方が、彼らに負けているものがある、と気付かされました。

打ち上げにも参加させて頂いて、懐かしい話で盛り上がり、手を取り合って喜びました。

14年前の紀尾井ホールでのコンサートの写真もありました。

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藤本先生は前列正面左から5人目、私は一番右。